『顔』が来る! 『顔』に見られてる! 『顔』! 『顔』! 『顔』! このままじゃ捕まっちゃう、だってあの殺し屋はどこにでもいるんだ。 『顔』はもうすでに海斗くんに接触してる。学校のタブレットの画面越しにだけど、ぼくとはっきり目が合った、あの恐ろしい『顔』の、生気に乏しいぎょろりとした瞳。 殺されないためには、父さんに言われたみたいに、ぼくは海斗くんを裏切らなくなくちゃいけない、海斗くんをきらいにならなくちゃいけないのに__
ぼくが海斗くんと仲良くなったきっかけは、ぼくらふたりの名前が似ていたことだった、と思う。海斗くんの名前の読みは「うみと」で、ぼくは快翔、と書いて「かいと」だから、似ているけどすこし違う。鳥と蝶みたいな関係だ、と、ふと感じたことがある。でもぼくは名前に反して、あんなふうに自由に空を羽ばたくようなことは向いていない臆病者だから、じつのところは、きっと鳥も蝶も海斗くんの親戚だった。海斗くんはお母さんが東欧の出身らしく__夜明けの空のように青い瞳をきらめかせ、羽のようにやさしいブロンドの髪を風に遊ばせていた。 五年生になってからの新しい理科の授業の担当に、大王という先生がいる(『大王』はあだ名で、ほんとうはただの理科の先生なのだけれど、話の途中であまりにも「でー、でー、でー」という接続詞を使いすぎるから、みんなから『大王』と呼ばれているのです……この由来を聞いたら、けだし先生陛下はたいそうご立腹になるに違いない!)。 この大王先生が、いつまでも海斗くんの下の名前をまちがえて「おい、かいと」と呼ぶから、きまってぼくは慌ててふりむいてしまう、理科はたいてい五限目か六限目で、ぼくらは生徒四人ずつで黒い木の長机に座っている、その劣化して板材が露出している茶褐色を目がけて、午後の気だるい陽光はことさらに差しこんでくるように感じられる。ぼくは大王様にご返事するべきか、一瞬とまどう。前の時間の生徒が書いたであろう、あまりかわいくないネコとフグの中間? みたいな動物の落書きが、机の黒い面に黒い鉛筆で描かれていて、光の反射の角度によってぼくの手元でチラチラ光る。耳の先からフキダシが伸びていて「鼻毛!」と言ってる。 ほんのすこしの静寂のあと、先生とぼくを交互に見てちょっとにやにやしてる海斗くんと目が合って、ぼくもなぜかくすっと笑ってしまう。たぶん海斗くんも、おもしろくて笑ってるわけじゃない。でも自然と口元がゆるんでしまうことの、この瞬間におこなわれている力学のしくみをぼくらは習ったことがなくて、たとえばハルジオンの花がみずから咲こうとして咲くのではないならば、それはほとんど海斗くんそのものだと思った。
「先生、ぼくじゃなくて、海斗くんのことですか?」と尋ねるのは、なんとなく、いつもぼくの役目だった。
海斗くんはいつも優しかった。運動も得意。勉強もけっこう得意。それにすごくもの知りで、豚のゾンビを使ってマイクラでダイヤモンドを9999999999999999999999999999個以上に増やす裏技も知ってる。でも、そのすごさを鼻にかけない。 髪の金色や瞳の青色をからかわれても、かれは怒らなかった。かれのお母さんの生まれを、かれのお母さんの同胞をひどくなじられても、海斗くんは口を開きさえしなかった。ただ、笑うのだ。その笑顔は澄んだ空にのぼる満月のように堂々としていて、いつもの海斗くんの人懐こい笑い顔とはまったく違うものだった。これは適切な喩えかわからないけれど、ただ__なんというか、マイクラの月みたいに、どこか角ばって見えた。
海斗くんはぼくの憧れだったし、最高の友人だった。五年生の冬、かれがぼくの家に遊びにきてくれるほどに親しくなったころ、ぼくの季節は毎日がうわついた感覚のなかにあって、どこか不気味なほどにあらゆることが楽しかった。 海斗が初めて遊びに来た日、海斗くんはぼくの両親に、「こんにちは、お邪魔します」と深くお辞儀をした。海斗くんの日本式の所作はいつもあまりに美しくて、その美しさが毎回、フォートナイトのエモートみたいに同一に再現される。ふだんの海斗くんの小学生らしい快活さに、その不自然なまでの完全さはすこしそぐわなかったけれど、ぼくがその違和について口に出したことは一度もなく、それが、かれのように芸術めいたお辞儀などできないぼくが表しうる、せいいっぱいの海斗くんへの敬意だった。 母さんはすこし意表をつかれたような表情をしてから、「__あらまあ、きれいなお友だちね」と言った。 父さんは、何も言わなかった。海斗くんはふたたび、おそらく一度目とまったく等しい一礼を父に向け、 「お邪魔します、快翔くんのお父さん」 と微笑んだ。ぼくはそのとき、海斗くんの顔がどんどんマイクラの月に変わっていくのを見逃さなかった! 父さんはついに海斗くんを一瞥もせず、ガチャリと書斎に鍵をかけて閉じこもった。 それから、ぼくが海斗くんに「いまのは、その__」と話しかけるまでの数秒間、外はまだ真昼なのに、ぼくらのあいだに広がる空間は真夜中で__海斗くんは、マイクラの月だった。
海斗くんとぼくはスマブラでとびきりにはしゃいで、海斗くんが帰るころには、ほんとうの月が夜空に出ていた。
その日の晩。寝ているあいだにトイレに行きたくなって、ぼくは廊下に出た。カルピスを飲みすぎたかもしれなかった。 そのとき__金属みたいに無機質な声が、「殺す」とか「殺される」とか物騒な単語を連ねるのが、父の書斎から漏れ聞こえてきたのだ! 鍵を閉め忘れたのか、すこし扉が開いている。ぼくは書斎をのぞきこむ。父さんは画面に熱中していて、気づかない。 濁流のようにテレビの画面を右から左に流れる、大量の言葉の氾濫。 無機質な声が、こんどははっきりと聞こえる。二つの巨大な『顔』が喋っている。 「○○人怖すぎなのぜ、どうやって自衛すればいいんだ?」 「政府は利権でズブズブの無能よ、私たち市民が立ち上がって粛清するしかないわね」 「さすがだぜ、お前の能力で日本を浄化してくれなのぜ」
ゴミは持って帰ってクレメンス 不 法 入 国 は 犯 罪 で す( ; _ ; )/~~~ WWWWWWWWWWWWWWWWWWW 警察無能すぎw 寄生虫はお掃除一択ですわ 早く根絶やしにしほうがいい まーた利権かよ壊れるなぁ 甘えんな国へ帰れクソが www 許せねぇ そ れ な(義憤) 女はまだ使い道()あるけど男はマジモンのゴミ 豚まんの中に豚肉じゃなくて謎の甘いの入ってたんだけど何? うぽつ
○○人__『顔』は伏せ字でピーと喋っているけれど、流れる罵詈雑言の数々を見るに、海斗くんのお母さんの同胞へ向けて言っていることは、明白だった。 なんで父さんは海斗くんを無視したのかって、ベッドの中でずっともやもやしてた。でも、いまならわかる。単純なことだった。父さんは、海斗くんがきらいだったのだ。海斗くんに初めて会う前から、ずっと。
いまの動画が終わると、父さんは別の動画を再生しはじめた。さっきと同じふたつの『顔』が、また「わよ」「なのぜ」と語り出し、画面にはたくさんの応答が踊る。
殺らないか() ホ モ は 犯 罪 で す( ; _ ; )/~~~ 病気なんだから地下にぶち込んどけよ 草 うぽつ うぽつ はいはい利権利権 少子化の原因の成敗はよ 普通に日本にLGBT差別とかないんだよなあ、日本のアニメをご存知ない? また変態かたまげたなぁ 活動家もホモも滅びろよマジで やっぱり豚まんの中に不気味な甘い粒が入ってたんだけど何? WWWWWWW
ぼくは急いで自室に逃げ帰った。『顔』が自分で言ってた、粛清するって。あれは殺し屋なんだ。父さんが『顔』に依頼してるんだ。海斗くんは殺される、そして父さんの期待に答えられなかったら、ぼくもきっと。
次の日の学校は地獄だった。朝から父さんは、「昨日遊びに来た子__あの子とは、もう関わるな」とぼくに告げた。 ぼくは登校中も、授業中も、ずっと『顔』に怯えていた。そしてついに昼休み、海斗くんの学校用タブレットの中にそいつは出現した。
「今回は、トラップタワーの作り方を解説するわよ」 「どんどん殺して経験を稼ぐのぜ」
二つの『顔』はそういった。 「これすごいんだぜ、あとで快翔もいっしょに見ような」 そう海斗くんはぼくに笑いかけ、そのときぼくはもうほとんど泣きそうだった、まだ涙の一滴も出てないのに、「どうした?」って、海斗くんはぼくの体調を心配してくれた。いまは海斗くんの優しさが、両手にいっぱいのハルジオンを口に詰めこまれたみたいに、ひどく心地よくて苦しかった。
下校時間、ぼくは不安げな海斗くんを無視するように走って学校を飛び出す。通学路を走る。走る。走る。
『顔』が来る! 『顔』に見られてる! 『顔』! 『顔』! 『顔』! このままじゃ捕まっちゃう、だってあの殺し屋はどこにでもいるんだ。 『顔』はもうすでに海斗くんに接触してる。学校のタブレットの画面越しにだけど、ぼくとはっきり目が合った、あの恐ろしい『顔』の、生気に乏しいぎょろりとした瞳。 殺されないためには、父さんに言われたみたいに、ぼくは海斗くんを裏切らなくなくちゃいけない、海斗くんをきらいにならなくちゃいけないのに__ |