【第50弾】あの大喜利プレイヤーに直撃インタビューしてみた

インタビュー

どうも笑うモールス信号です。

大喜利プレイヤーにインタビューをする企画の第50弾です。

今回インタビューさせていただいたのは、短考・長考どちらも一級品。大喜利たろうの顔の一人であるこの方です。

 


シルバータントさん

よく大喜利たろうでお見かけするシルバータントさん。

大喜利たろう七段は現在の参加者の中では最高段位で、

3分大喜利の実力は界隈の中でも屈指だと思います。

長考大喜利の成績でいうと、

辻喜利トーナメントで準優勝、

ボケクエスト6ではピッキーとして大会随一の衝撃を与えていました。

まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのシルバータントさんのインタビュー是非ご覧ください。

Q1.あなたの大喜利歴と今までの実績を教えてください


細かくは覚えてないんですけど、大喜利たろう第一世代(2021年2月~8月)と言われる頃に初めてネット大喜利に触れました。そして12月頃、木曜屋杯をきっかけに大会に参加するようになりました。大きい実績は第5回辻喜利トーナメント準優勝天文台2部優勝です。もっと頑張ります。

Q2.大喜利を始めたキッカケは?


元々spoonをやっていて、そこで仲良い人達が大喜利たろうの配信をしてるのを見て、参加したのがきっかけです。大喜利の配信みたいなのは周りの人がよくやっていたんですけど、実名付きのコメントで回答を書くというのが自分にはハードルが高くて、ちょうど匿名で大喜利がやりたいなーと思ってたときに大喜利たろうを見つけました。ネット大喜利の匿名性と手軽さに惹かれて、そこからずっとやってます。

Q3.大喜利の回答を考える時に意識してること


正直感覚でやっている面が多いので大したことは言えないんですけど、そこの感覚の部分を言語化できればいいなと思っています。

結論から言うと3つあります。

1.お題に入りこむ
2.文章の気持ち悪さと単語の強さのバランス
3.映像の切り取り

まずお題に入りこむ。これは皆さんのやってることとほぼ一緒ですが「解像度を上げる」という点について書きたいと思います。

回答を考えるときって答えの解像度を上げようとするのが、一般的な手法だと思います。それに対して、お題の解像度を上げるというのはあまりないのではないでしょうか。お題に入るというのは、その世界の中、あるいは文脈で何が起きているのか想像するということです。一方でお題の解像度を上げるというのは、世界の分節化、つまりその世界ついての事実の洗い出しだと言えます。例えばリンゴ、赤いですよね。それはリンゴを観察すれば事後的に分かります。一言で言うと、事実です。でも、リンゴの例は面白くないですよね。もし仮に面白いって言う人がいるとすれば、それはこの事実に対する発言でしょう。しかし、面白さというものを考慮すると、事実にではなく、「リンゴが赤い」という出来事に対してその人は面白さを抱いていると考える方が自然な気がします。事実は分析すれば分かるのに対し、出来事はそれまでなかったことが生じるという裏切りが含まれているからです。つまり、リンゴが赤いという出来事は、あるとき、ある場所でリンゴが赤いということを指しています。このことを言い直すと、お題に入るというのは、その世界の中でどのような出来事がありうるのかを想像することだ、と説明できます。これがいわゆる「あるある」の源流にあると考えています。

もう少し深掘りしてみたいと思います。「コーヒーを飲んでいる」という例を想像してみてください。これは事実でしょうか、それとも出来事でしょうか。直観的に考えるとその両方である気がします。ただ違いを考えてみて最近気付いたんですけど、事実は頭の外にあって、出来事は頭の中にある。頭の中にある、というのはまず観察者としての私たちがいて、それを記述して初めて出来事になる、という意味です。「事実」「出来事」「記述」という概念は、自分の中でかなり中核にある点です。ある事実に気付いたときに、私たちはそれを出来事として記述する。だから、「コーヒーを飲んでいる」という例は事実でも出来事でもあります。しかし、改めて見つめ直してみると事実でないような出来事を考えることこそが大喜利の営みではないでしょうか。そういった観点を整理してみて、事実と記述を切り離して考えていく、という軸が自分の中で最初に浮かび上がりました。リンゴの例で確認したように、事実をそのまま記述するのは面白みに欠ける印象があります。じゃあ事実は重要でないかと言うと、そうではありません。事実は大切です。

先ほど大喜利の営みについて触れましたが、大喜利はパラドックス的な要素が強いと私は感じます。これは人によっては拒否感がある見解かもしれません。というのも、私たちは大喜利に正しい回答があると思いこみがちで、実際そのように見えるからです。でも、正しい回答とは何でしょうか。そこには、私たちは大喜利を問いとして捉えているという前提があります。これについて、例えば「傘はどこにあるか」という大喜利的でない問いと比較してみると分かる部分があるかもしれません。この問いは、どのようにすればこの疑問に答えを出したことになるのかがはっきりしている問いです。つまりこれは、傘を見つけるための証拠が実際にあり、それを辿ってさえしまえば答えが自然と分かる、そういう問いです。このタイプの答えは一度出してしまえば、それが正解であるということを疑う人はいないだろうと思います。言ってしまえば、問いに決着がつくという訳です。それに比べて大喜利的な問いは簡単に決着はつきません。大喜利的な回答が既に知っていることを目指すのではないのならば、私たちは知らないものを知ろうと探求している訳です。このことが大喜利がパラドックス的に感じられる要素の大きな一因として私の中であります。

お題の解像度を上げるというテーマに原点回帰します。要するに、事実はなぜ大切なのでしょうか。解答を考えます。まず、事実は出来事以前のものです。それでは、私たちはどうやって事実に到達することができるのでしょうか。まず自分の視点というものは誰しもあると思いますが、それは根源的な意味で言えば、事実の切り取りという役割を担います。ここで注意してみる価値があるのは、自分の視点が先にあって、そこから出来事を探して記述するのではないというフレームです。事実はどこまでも無味乾燥な事実です。言いたいのは単に記述によってそれに面白さを付与しようとするのではなく、それを切り取ることで事実から面白さを引き出すということです。もちろん、記述を全面的に否定する訳ではありません。出来事やあるあるはやはり強力なツールであり、使えるものを全部武器にして使った結果、いい回答が出せればそれでいいのかなと思います。むしろ、記述からいかなる距離をとるのかということが、私たちのよく使うフレーズである「お題と要素との距離感」だとも言うこともできます。私が記述をするとき意識することとしては、なるべく純粋な、抽象的に言うと記述の指示的な力を欠いた状態を目指して書く、という点があります。理想は、自分の視点とお題におけるあるがままの世界が完璧に合致することです。長いよーと言う人のために一言で言うと、「ないあるある」を考えています。

次に文章の気持ち悪さと単語の強さのバランスについて話します。これは要するに美しさの話です。

大喜利における美しさとは何でしょうか。先ほどの分析を置き換えてみましょう。事実は構造です。絵画で言うところの線や色のパターンです。出来事は印象です。私たちはある構造に対面するとき、「バカバカしい」「キレイだ」といった記述をします。唐突ですが、ここに石があるとします。この石に美しさを付与しようとするとき、十人十色の方法があると思います。例えば、削って彫刻を作るという方法もあれば、これは現代アートだと言い張ることもできるでしょう。ここには人の手を加えるという工程、つまり自分の視点があります。こう整理してみると、美しさというのは人為的なものであるように思われますが、そうでない美しさもあるでしょう。自然のあるがままな美しさや、「あの人の心は美しい」といったときのような、そもそも目には見えない美しさです。これらは「より以上の」という共通項でまとめられそうです。ギリシャ彫刻は私たちの肉体以上に美しい、ゴミが散らかっている状態よりも整理整頓されている方が美しい、という訳です。ストレートに笑える大喜利の回答の多くはこのような美徳をもっているでしょう。しかし、例えば「秋空は美しい」と述べるとき、私たちは秋空を何かと比較しているようには感じません。つまり、秋空は秋空として美しいのであって、この何かは言葉で指示することができません。つまり秋空の何が美しいのかという問いは、その何かによってしか答えられないのに、それは言葉にできない、という難問を抱え込んでいます。かろうじて答えるならば、「思っているより」美しい、と言えばいいでしょうか。これを別の言い方にするならば、出来事から浮彫りになった事実を感じていると言えばいいでしょうか。少なくとも、私たちが漠然と秋空を美しいと感じているという前提に立つとしても、それを確固たる事実として意識している人はそこまで多くはないと言えるでしょう。これらは、端的には「秋空は秋空という言葉それ以上の価値をもつ」ということです。私が大喜利における美しさというものについて言及するときは、この価値観が根底にしてあります。何か核としての単語を使うのであれば、それのもつ価値を殺さずに、引き出す方向で活かします。具体的には次です。あたかも雪に見えるくらい遠くからゴミを見るならば、そのゴミは雪と同じくらい美しい、という精神です。美しさの区分で言えば、自然な美しさです。ゴミを近くから見て、これは雪のように美しいと言うのは、雪とゴミのもっているもともとの価値を取り違えています。そういう訳で、切り取りには心を砕いて気を使わなければならないのです。具体的な回答を見てみましょう。

【お題】砂漠で育てられて成人した子ども

財布の形を頼りにしてる

第5回辻喜利トーナメント

もしこの回答が財布でなく「傘の形を頼りにしている」だったら、傘の直接的な意味が含まれてしまって、よくない回答になるのではないでしょうか。こういう別の要素に置き換えても成立する要素で一番いいものを探すポイントとして、上で述べた美しさを頭に置いておくといいのかなと思います。

映像の切り取りの話に移ります。

切り取りは記述の一方法です。切り取りという言葉のニュアンス的には、その世界のありのままの姿における事実について、主観的な判断を保留する、という含みがあります。映像を切り取ると言っても、お題の中に入り込んで、勝手に人物が動き出すところを抜きとるということではありません。私の場合、映像を作り、編集します。映像の特徴は、次のふたつのような点が挙げられます。

①映像は、私ではないものの視点です。
②映像は、事実のコピーのようなものです。

①について詳しく話します。映像は、その世界で何が起こっているかを外から規定します。このとき、監督としての私は世界の外部にある、つまり、私は私のようで、そうでないという混乱した状況の中にいます。ただ、これは自我がないというのを意味するのではありません。例えば、映像を見るときにそこで起きていることが他人事のように思われるといったことがあります。卵の値上げを実際にスーパーで見るのとニュースで見るのとでは、前者の方がびっくりするのではないでしょうか。なぜでしょう。ニュースは受動的に見るものだからではないでしょうか。つまり、ニュースを見ている私はただの器だ、ということです。この器の純粋な形が感覚であり、この場合、私は感覚しています。なぜなら、感覚する主体、すなわち自我が感覚される対象(ニュースの内容)を見ているからです。感覚する主体と感覚される主体はひとつの自我のふたつの側面を成しています。ところで、私は私のようで、そうでないというのは、感覚だけでやっているからです。要するに、感覚からしてみれば、周りの世界(私以外)と私の間にあまり境界がないということです。つまり、感覚が形になったものが映像であると言えます。これが、映像は私でないものの視点であるという意味です。

②について。映像は事実と出来事の中間地点、さらに詳しく言えば、出来事に対して事実を経由するという意味で、コピーであると言えます。このコピーは映像において、ときにただのコピー以上の効果をもたらします。つまり、映像におけるコピーを見るときに、私たちはそのオリジナルを見る以上の影響を受けることがあるということです。ただのコピーはオリジナルの支配下にあります。それに対して、映像におけるコピーにおいては、必ずしもオリジナルを尊重しているのが正しいとは限りません。むしろ映像に写るものについては、ときには現実以上により現実らしく見えることがあります。大喜利の話で言うと、お題やお題の画像がオリジナルにあたります。頭の中で映像を作るとき、それ以外のことをしていないという意味で、あくまで私は映像の蚊帳の外にいます。このとき、映像の中にある要素は現実のコピーであると言えます。つまり、架空の要素はオリジナルの要素に依存しないコピーとして働きます。この架空性が「ないあるある」、すなわち現実に存在しないという形で現実として現れます。これが、映像は事実のコピーのようなものであるという想定から言えることです。

総まとめをします。まず、お題に対しては、解像度を上げるということを軸に、事実と出来事を切り離して考えようとする方法を紹介しました。これは、事実でないような出来事を考えることこそが大喜利の営みではないかという想定のもと成り立つ考えです。文章の気持ち悪さと単語の強さのバランスについては、美しさという観点からまとめることができます。美しさは「より以上の」という志向性をもちます。これについて、ある言葉を使ったときに、その言葉がもつそれ以上の価値を引き出すという方法があると言えます。映像の切り取りについては、それは私ではないものの視点である、事実のコピーのようなものであるという二点が核にあります。感覚が形になったものとして映像を作るとき、私はその世界の外にいます。このとき要素は、架空のものとしてコピーされ、現実に存在しないという形で現実として現れます。以上が私がボケを考えるときに意識していることです。

Q4.あなたのマイベストボケを教えてください


【お題】こんなセーラームーンはこち亀だ

戦車が許されてる

大喜利たろう

これはそのままお題に沿う、つまりお題の世界についての事実をうまく切り取ることがうまくできた例だと思います。

【お題】ド変態に飼われているヘビの特徴

笛吹いたら海行く格好で出てきた

大喜利大使館

これは映像の切り取り、ないあるあるに当たります。このような蛇は実際にはいないけれど、いたら気持ち悪いというバランスが成立していると思います。

【お題】「 消防士、水 」
以上2つのワードを使って一文を作って下さい。

天国に水あったら、もう1回消防士やる?

ボケクエスト6

これは、気持ち悪さと単語の強さのバランスのよさを意識したボケです。消防士と水という単語がもつポテンシャルから、それ以上の価値を引き出そうとしました。

私も花壇荒らされてムカついてる

大喜利天文台

お題に入りこんだ回答です。これは、先に「ムカついている」というフレーズが出てきました。このフレーズから、この世界でどのような出来事があったかについて想像を膨らませたらこうなりました。

尿がおかしくてもう1回来たんだろ

大喜利ファイブ

これは、気持ち悪さと単語の強さのバランスのよさを意識したボケです。実は、これは自分の意識外からきた回答なのですが、私は私のようでいて、私でないという映像の強みから副次的な効果として出てきたのだと思っています。

Q5.あなたが好きなボケを教えてください(複数可)(理由も教えてください)


【お題】優しくされると死んでしまう人が水族館で死んだ理由

カメラで全部写そうとした時、後ろを見ずに下がれた

(とまりついでさん)

大喜利パフェ

これは映像としてかなり好きでした。強い言葉やフレーズをまったく使っていないのに、情景がありありと思い浮かびます。こういうのって、イルカとかサメみたいな含みを持たせてしまう要素を拾ってしまいがちですが、そういう無駄がまったくないです。

【お題】そろばん塾をやめた少年

女子に白髪があった

(坂本さん)

大喜利たろう

うまく説明できませんが、めちゃくちゃ面白いです。このうまい説明のしようのなさが、この回答の面白さだと思います。もうちょっと言うと、女子に白髪があったら何となく嫌だというところと、そろばん塾を辞めた少年という組み合わせが化学反応を起こしているのではないかなと。

なんつー炎天下!

(1999年さん)

大喜利たろう

笑いすぎて一日中この回答のこと考えてる日がありました。めちゃくちゃ感覚的なボケなのに、いかにも言ってそうです。

戦国時代に花ひとつ

(パシフィックさん)

大喜利たろう

これも上と同じです。めちゃくちゃな質量の面白さでぶん殴られた気がします。

【お題】全国民が集まった会議の様子

「やったりましょう」と奥のジジイから電話がきた

(お化けぬこさん)

地域対抗大喜利フェス

傑作中の傑作だと思います。これについては、私がボケを考えてるときに意識している方法から出てくる回答ではないと思います。どうやったらこんな回答思いつくのか、検討もつきません。

Q6.あなたが好きな大喜利プレイヤー(もしくは最近注目してる大喜利プレイヤー)を教えてください(複数可) (理由も教えてください)


インブルーさんが好きです。spoonの頃から大喜利をしてる姿を見ていたんですけど、 独特な切り口でずっと面白くてネット大喜利でもインブルーさんらしい回答で上位にいる印象です。

【お題】ラッキーカラーにとりつかれた人

ぜあ!と言って首鳴らしてる

(インブルーさん)

大喜利たろう

意味を通すよりも感覚的な面白さが先にくるのが、インブルーさんらしさではないかなと思っています。

【お題】笑い声をバカにされたおじいちゃんが取った行動

小舟で登場し、色んな人からお酒を貰ってる

(インブルーさん)

大喜利大使館

なんとなくバカバカしい、情けない印象を受ける回答です。それこそ、小舟、お酒という単語のもつポテンシャルが活かされるし、このふたつの要素の距離感も美しいです。

坂本さんも好きです。短考も長考も常にトップで、自分自身何度も教科書にしようとしてました。

【お題】家の隣に崖がある人の悩み

体操服とか干さないと、本当に鬼だと思われる

(坂本さん)

ボケクエスト6

感覚に直接刺さるボケです。惚れてしまう、とでも言えばいいでしょうか。坂本さんのすごいところを説明するのが難しい(ごめんなさい)理由としては、この受動、能動のどちらでもない中間部分に属する感覚に訴えているからではないでしょうか。
真似できません。

【お題】骨折した人

親の髪型になってる

(坂本さん)

大喜利たろう

面白すぎる。

他にもspoonの頃からよく見てたbmoさんや、色んなサイトで意識して見てた予備校さん、大型ケミカルさん、ともさん、祭囃子さん、架空さんが好きです。

Q7.今後の大喜利の目標はありますか?


大きい大会で優勝することです。まだ個人でもチームでも優勝したことないので。あとはまだ手つけたことないサイトをやっていきたいですね。大喜利登竜門ネタボケとか。回ってたら積極的に参加するようにします。

Q8.最後に何か一言お願いします!


ありがとうございました。


シルバータントさん、お忙しい中インタビューを引き受けてくださりありがとうございました!

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